当時在籍していた会社で、非自動車分野の新事業立ち上げに関わる出張です。
この時はまだ出張の身分、一年後に駐在しているとは思ってもいませんでした。
仕事を終え、22時過ぎにやっと夕食。
2004年2月にオープンした、上海の日本人の間で話題沸騰の新店『78一番拉麺』へ、駐在組と出張組合わせて8人での訪問です。

日本領事館もある虹橋地区の上海国際貿易センタービル1F店舗前で同僚をパチリ。
左から出張組の澤井くん、駐在組の岡村くん・出口くん。
さて、この店がなぜ話題沸騰だったかというと、あの一風堂が仕掛けた店だったからです。
上海の人気飲食チェーンを展開する『小南国』グループとの合弁で立ち上げた、本格的な日式ラーメンを提供する店。
それまでの日式ラーメンの概念を変える味とサービス、洒落た店舗内装とスタッフの制服。とにかく画期的な店でした。スープも麺も、日本で食べるラーメンと遜色の無い出来。河原成美氏が当時、上海に移住すると宣言するぐらい力が入っていました。

この日食べたのは、78一番赤湯拉麺。一風堂の赤丸新味に相当するのでしょう。28元ですので、ローカル食と比べると5倍以上の価格です。(当時のレート1元≒13.5円)
スープはぬるかったのですが、麺も中国で作っているにしては頑張っているし、チャーシューや他具材もなかなか。他の日式ラーメン店とは雲泥の差です。
お決まりの所蔵資料・文献、まずは店のパンフから。裏面は全部中国語なので省略。

この時点で3店舗を展開していますが、記憶しているだけで上海市内6店舗まで拡大していきます。


上海Walker 2005年5月号。上海ビジネスマン必読の無料情報誌ですが、角川とは全く無関係。クレームが有ったのか、2006年ぐらいからWhenever上海という誌名に変更しています。
この頃の河原氏の目論見は、2007年までに中国全土に30~50店、上海地区だけで10~15店を展開予定・・・
という壮大な計画でしたが、2年目の2005年に早くも雲行きが怪しくなります。7月に店名を『享食78』に変更し、コンセプトを見直しリニューアル。この時点ではまだ河原氏が関わっていたようですが、明らかに味やメニュー構成が中国人向けに。
日本人の間では、一風堂が手を引いたとか小南国に乗っ取られたとか噂が立ち、次第に敬遠されるようになり・・・。真偽は分かりませんが、どこかのタイミング(おそらく2006年頃)で河原氏は手を引いたと思われます。
2012年に再度上海へ進出。今回も合弁ですが、『一風堂』ブランドで多店舗展開、今のところ成功しているようです。
78一番拉麺や享食78については力の源カンパニーの歴史から抹殺、無かったことにされていますw
私も現在は中国とは縁遠い仕事に就いておりますので、享食78がその後どうなったのかはよく分かりません。
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